ワコーのカド blog

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『ローラ』について語るときに。

雪を見た。

雪を見ると無条件で興奮してしまうのは東北の人間故か。

「はっ!」と声を出してしまった。

(それでも僕はタバコを吸いに行くのだが)

超面白い映画を教えてください!と言われたらジャックドゥミの「ローラ」を見ろと言いたい気分。

なんたって完璧なのだから。

カットが変わるごとに「…っわあ」の繰り返し。

音楽、ちゃらららーーーら、らららーーー。でもう語ることはないんですよ。

良いもん見たなあ。

の、ホクホクですよ。

さて

サイレント映画からトーキーへと移行した時、我々は表現を奪われた、らしい。

モノクロからカラーへと移行した時、我々は表現を奪われた、らしい。

つまり我々は五感を働かせることをやめるごとに、根源的快感から遠ざかっていくのだろうと思う。

(すこしわかるよ、)

見えないものを、補完することに悦び(よろこび)を感じる生き物だと思う。

だから、見えすぎてしまうことに当時の映画人たちは憂いていたのだろうなあ。

まあわからいでもないが。

最近詩を読む。

必ず電車で読む。

それは移動する物体の中でしか味わいたくないからだ(!)

詩を読んでいると、トぶ。

五感をフル活用しているからだと思う。

そうすると、なにか?

映画もかつては詩に近いものだったのではないか?

と、思いを巡らせる。

つまり、音を与えられ、色を与えられ、差し引いては感じ取る心すら予め与えられてしまっている。そうでなければ満足できない。だとすれば

だとすれば

現代の我々の心はなんと貧相なことか!

とは別に思わない。

時代ごとに表現があって然るべきだから。

が、しかし

それは常にアンテナを張っていなければならないということだ。

疲れる作業だ。

映画館で生きる人間に課される業務は、業務時間以外こそが本懐だ。

トランペット!

さて、そんな疲れた現代人にとってジャックドゥミの『ローラ』は完全な映画だ。

だから見たことない人は見ればいいし、見たことあるよ!って人も、今一度見直してみればいい。

せっかく僕がいまここで話題に出したのだから。

何様か!と言われるかもしれないけれど、僕は映画館で働くタバコを吸う男だ。