『夜明けまでバス停で』激しい傑作であった。
苦しい。とても苦しい鑑賞だった。
それは、彼女が常々漏らす未来への不安を、もろに食らったからだ。
非正規雇用、年齢、女性。
コロナの始まりの言いようのない不安、恐怖を生々しく描写していた。
そこでどう生きるべきなのか。手を差し伸べる人はいるだろうか?
いたとして、その手をギュッと、掴むことができるだろうか?そんな自分を許せるだろうか?
なぜこんなことになるのか?自分のせい?はて?
自分は男として生きていて、なんなんだろうか。腹腹時計かかえて、誰を救えるだろうか。
苦しい現代コロナ禍を生きる女性の救いのない物語、を本作は鮮やかに(しかしやり方は強引に)飛び越える。
まさしく、映画的に。
タランティーノばりに、救ってしまう。
背景には救えない事実を背負って、飛躍する。
それこそが救いだと思った。
映画が希望を背負うなら、こういうことなのだ。
腹腹時計かかえて、飛び越えろっ!!!
ただただ、希望だけを捨てずに、生きる。
これは震災がいくつもの芸術作品を生み出し、悲惨な出来事が我々を救ったように、皮肉のようであり、現実を生きる我々すべての人間への力強く、ユーモアを備えた(これが重要なのだ)希望のメッセージだ。
生きることは辛いけれど、それでもどうせ生きるしかないのなら、娯楽を精一杯、目一杯受け止めて、楽しく生きていこう。