ぼっちざろっく傑作でした。
ぼっちが唯一自分を保つために持っていた自尊心が他者との間では役に立たないという事実と向き合うことから話が始まる。
「1人でいるのが好き」な人間と「ぼっち」な自分との似て非なる現実にぶち当たり。
嫌でも嫌でも自分と向き合わねばならなくなる。
その、他者との距離の取り方がわからなくなった主人公の描き方があまりに秀逸であったのだ。
「友達はいない。イマジナリーフレンドはいる」と作中で述べるシーンにはびっっくりしてしまった。
イマジナリーフレンドという言葉があまりに日常化してしまっている今の若者に、僕はかける言葉がないと思った。
だって、だってだって、高校時代にロキノンを読んで「俺は違う。俺はあいつらとは違う!俺は音楽をわかっている!(わかってない)」と自我を保っていたあの頃の自分が見たら、精神崩壊してしまうではないか!?
そんでぼっちちゃんの歪んだ精神描写がつくづく爆笑なのだ。
見事すぎるくらいに、自尊心のない人間の脳内を描写して見せる。
アニメだとか、そんな枠をとっぱらって、如何に歪んでいるかを、ギャグとして見せてくるのが「痛くて痛くてたまらねえんだよ!!!」
毎話、爆笑してしまった。
でも見てる人はちゃんとそばにいるんですよ。
鳥肌もんの8話エンディング。
そこから先はまあおまけみたいなもんで。
それにしたって、アジカンである。
僕は中学の時夢中で聴いていたアジカン。
ただ高校で9mm、サカナクション、ACIDMAN、凛として時雨、もろもろ
聞いていくうちに、全てだったものが一部になっていった感覚。
でも、アジカンの呪いは強いんだよなあ。
わかっちゃうのが、苦しいなあ、そんな「ぼっち・ざ・ろっく」
まあ、傑作でしょう。
アングルの面白さ、いいよね。
キャラクターの存在感、いいよね。
視線が混み合ってるのだけど、それが現代的なのかな。