苦手です白秋は。
中原はわかりやすくていい。
僕は、人を殴ると痛い、血が出る、ということを教えることが教育だと思っています。
父に、昔いっしょにスターウォーズを見ただとか、いっしょに散歩に行っただとか、意を決して話してみたが「そうだったか?」としか返事はなかった。
まあ、そうだよねお父さん。
父は必死に若生という血筋と戦ってきたのだから、お疲れ様と心から言いたい。そしてありがとう、と。感謝しかないです。死んでないけど。
金持ちの息子は大変だ。
俺は孫だからまだ良かった。
父方のじいさまは、仙台では立派な“経済人”だった為、戦争に招集されなかった。
若生商店というデカいビルがね、あったらしいんですよどうやら。4箇所も。
結果、父は「このブルジョワめ!」と学生時代は周囲から酷い扱いを受けたようだ。
戦争はいかん!と一言で片付けられない問題がここにある。
「お前の父ちゃん金持ちだから戦争いかなかったんだ!」
と、言われていじめられる息子は、立派な戦争被害者でしょう?
僕はその息子だ。
「学校なんか行かなくていい」
と言った父の気持ちも、今はわからなくもない。
父は血筋の残した遺産を片付ける人生だった。
それは果たして幸せだったろうか?
「俺は人に語れるような立派な人生送ってないけど今幸せだからそれでいいんだあ」
酔った父は調子よさそうに言っていた。
その時期、どうも鬱病を拗らせていた時期と重なる。
あなたの人生どうだったんですか?
そう聞きたかったが、
「プレステしようとこたつから手を出すと、手が冷えるからよ。冬はプレステできないんだよなあ」
とYouTubeを見る74の父はヘラヘラしていた。
72だと思ってたら74だった。
俺も2年、時間が止まってたようだ。
父の世代にとって、戦争は我々以上にタブーだった。
昭和40年代、日本経済が上向きのときこそ、負の歴史は「大人に聞いてはいけないこと」だったはずだ。
そう思うと、僕もまだまだ戦争の火の元にいるのだと痛感する。
100年前に価値があった土地の持ち主が今死ぬと云千万と相続税がかかり、危うく我々家族は路頭に迷うところだったのだ。
金持ち貧乏とはこのことか。
税金というのは恐ろしいよ。