自分が唯一書き上げたことのある小説「少年と金属バット」。
走馬灯が見たいから首を絞めろと女が男に命じ、その手の冷たさに違う男ならよかったなーと思う。という書き出しで。
なにか物語を作ろうと思ってもその話が自分の中で消化できていないから、作れないのである。
割とちゃんと完結している話ではあって、詰まるところ「死のある命、万歳!」ってことなんだと思うのだが、書いた時の自分は今より目が霞んでいたから、わからない。
ピエロを演じながら、そのピエロを冷笑しつつ、ピエロでいいじゃないか!と吠えつつ、すんとして周囲の状況を伺っている。
そんな自分が、まあ、良くも悪くも「らしい」と思うのだった。
父は僕が小1の秋から気仙沼へ単身赴任した。
帰ってくるのは週に1回。
忙しい時は月に1回。
帰ってくる時はいつも疲れ切っている。
会話という会話も出来ないまま、僕は成長していくから
子どもはほっといても大きくなるから、大きくなっていった。
父は気仙沼で、自分の血筋の残した金と人と借金の後片付けをしていたのだ。
と、知ったのはつい最近のことだ。
父は、会うたびに姿、大きさを変える我が子とどう接して良いか、わからなかったのだろう。それは僕も同じであったのだ。
父がいつの間にか、得体の知れない「大人」の1人という認識で、生活していた。
僕は父親との会話の仕方を知らない。
実家で顔を合わせても、お互いどうしていいか、未だにわからない。
(ただいま)
(あぁ、)
(帰ります)
(また、来てくださいね)
これが、僕と父の会話の全てだ。
僕の情報は全て母親つてに父へゆく。
だからある程度は僕のことも把握しているような気配はする。
お互いのことを知っていても、会話というのは別段、成り立つとは限らない。親子なら、なおさらか。
母親から聞く父の話は、いつも暗い。
(あなたが生まれるまで、あの人はいつ会社で首を吊るだろうかと、毎日帰ってくるか不安だった)
父がそこまでして何をしたかったのか、ばあさんが死んで明かされた。
(父は自分に流れる血を家長として一手に引き受けていた)
母こそ辛かったろう。
僕は果たして、何を持ってこの恩を返せるだろうか。
(子どもの役目は、親より長生きするだけだ)
身近な人が死ぬと思う。
人が1人、この世からいなくなることは、残された人間にとてつもない負荷がかかる。
その負荷を、親に背負わせてはならないのだ。
(孫なんて疲れるからいらない)
母はそう言って笑った。
もう自由にしてよ、と言われたような気がした。