平波さんの大傑作『餓鬼が笑う』
2/3までケイズシネマで上映です。
是非ご覧ください!
と声高に叫びたくなのは僕に根付いた「大林史観」とでも呼ぶべき映画の見方故かもしれない。
『餓鬼が笑う』賛否真っ二つらしいですね。とても素晴らしいことだと思います。
僕は大賛です。
賛否が分かれる映画を見るという行為は実に崇高なものです。
それは自分の境目に出会う行為だからです。
僕は映画は「さかいめ」で出来ていると思っています。詰まるところ映画の面白さとは「さかいめ」を如何に語るか、という結論に至ります。これは僕の見方ですよ。
大林宣彦という映画作家が日本にいました。過去形です。僕は大林宣彦という映画作家をこよなく敬愛しています。
大林宣彦の映画には生者と死者の境が取れる瞬間がよくあります。取れる、というか死者がその辺をウロウロしていることもしょっちゅうです。ふゆうするさかいめです。
現世と常世、あの世との境目、交流。生と死。性と死。青春。せいとしの奪い合いである戦争。
それらが無い混ぜとなり襲ってくる。
僕の人生ベストと吹聴している「ふたり」という映画ももれなく当てはまります。
さて!「餓鬼が笑う」の話をしましょう。
これは大林作品で言えば「野のなななのか」に近いんじゃないですかね?
この世とあの世を同時に見つめている。見つめられる存在。それは観客、つまり我々のみ。
「餓鬼が笑う」はこの世とあの世を行ったり来たりします。それはあらゆる意味で。
セリフで「日清戦争だ」と出てきます。
日本はいま戦争が終わり、もれなく戦前なわけですが、戦争と平和の境目はどこにあるのか?
そもそも対極ではない、と本作で気付かされます。地続きであると。
つまり、本作を難解と感じるか否かは「境目の標準をどこに合わせるか」にかかっているわけです。
実はそんな境目なんてなくていいんです。なぜなら映画だから!!!!
さあ、そうして見るとなんとわかり易い映画か。
生が迸る青春映画であります。
楽しめば良いんです。映画を観るために払った金の分だけ。そういう「映画を楽しむ」映画なんですよ!これは!
命万歳!死万歳!一周回って死込みの命万歳!ってことです。
この「一周回って」いるかどうかが重要なんです。
人生は「一周回って」を繰り返して、厚みが増していくんです。元の位置に戻ったように思えても、数センチか、数ミリか、厚みを増しているんです。
そのことに「餓鬼が笑う」は気付かせてくれるんですよ!!!
「リング・ワンダリング」「にわのすなば」と近しい部分があるでしょう。
円環構造に見えて、樹木の年輪のように観る前と後とでは自分の立っている位置が少し動いている。それは観る価値があるってもんですよ。
だからオススメします!面白いよ!
大宮さんの「五万!」にニヤつき、池田さんのニヒルな笑いにニヤつき、川上さんのバカメイク(褒めてます)にニヤつき、藤田さん、川瀬さん、二ノ宮さん、もう全員の「快演」に狂喜乱舞する心を落ち着かせ、田中俊介さんの美しい造形にゾクゾクし、片岡礼子さんの素晴らしい暴れっぷりに歓喜し、萩原さん柳英里紗さんの、、、ああもう書ききれない!役者の演技をこれでもかこれでもかこれでもか!!!!!と堪能できる作品です。
映画万歳!役者万歳!監督バンザイ!です!
さあケイズへ急げ餓鬼共よ。